昭和35年(1960年)5月28日 福岡県福岡市生まれ
  音楽好きだった母の影響を受けて、5歳からヤマハ音楽教室で早期教育を受ける。その後高校2年在学中までエレクトーン奏法(ポピュラー&ポップス)を学ぶが、この間に音楽家として必要な聴力や音感、自由な発想の和声理論や鋭敏なリズム感覚などを自然と身につける。また中学以降サッカーに熱中し、後に指揮者となるための体力や反射神経なども得る事となった。17歳からクラッシック音楽に転向、21歳の時に声楽及び合唱指導法を学ぶためウィーンで勉強中に指揮者を志し、26歳からアマチュアオーケストラを指揮し始め、35歳でプロ指揮者としてデビューする。現在は東京とソルノク市に居を構え、日本とハンガリーの両国を往復しながら演奏活動中である。

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’95年5月のブダペスト国際指揮者コンクールに優勝して一躍注目を浴びて以来、国内外にわたって目覚ましい活躍を行い、今まさに注目を集めている指揮者。国内では’96年1月に東京シティ・フィルのニューイヤー・コンサートでデビュー以来、同楽団を始め読売日響、日本フィル、新日本フィル、東フィル、神奈川フィル、群馬響、セントラル愛知響、九州響などに招かれ次々と客演指揮し、「パワーとエネルギーを十分に保持し、しかも細かいところをかっちりと揃えた音楽作り」(「音楽芸術」誌)、「明確な表現意図を持ってメリハリの効いた、凝縮力のある演奏」(音楽舞踏新聞)などの高い評価を受けている。

 海外では特にその拠点をハンガリーに置き、これまでにハンガリー国立響( 現、ナショナル・フィル)、ブダペスト放送響、マターヴ響、マーヴ響、ハンガリー国立歌劇場管弦楽団(ブダペスト・フィル)などを始めハンガリーの主要なオーケストラのほとんどに客演指揮し、「ヨーロッパの精神を持った指揮者」(「マジャール・ヒルラップ」紙)、「鋭敏なダイナミズムと楽曲解釈との見事な調和」(「ナピ・マジャールオルサーグ」紙)などの高い評価を受けている。また特筆すべきは、コンクール中の演奏を認められ、ハンガリー国立ブダペスト・オペレッタ劇場に招かれてレハール作曲「メリー・ウィドゥ」を指揮して(その模様を国営テレビが生中継し)センセーショナルなデビューを飾った後、’96年1月の同劇場初の日本公演に指揮者の一人として同行して大きな成功を導き、その手腕を絶賛されたことであろう。その演奏は「音楽の友」誌上の特集”コンサート・ベストテン’96”にも選ばれ、同劇場の’97年6月及び’98年1月の再来日公演でも各紙から絶賛を浴び、”日本人離れをした才能と感覚”(読売新聞)との評を得ている。(「音楽の友」誌の”コンサート・ベスト・テン”には2年連続選出されるという快挙を成し遂げている) また同オペレッタ劇場と国立歌劇場の中心メンバーによって構成されている”ハンガリアン・スターズ・オペレッタ”(独名Künstlerhaus Operettentheater ,Budapest)の第2回ドイツ公演(’97年11月)ではドイツの各都市で絶賛を浴び、’98年11月の日本オペレッタ協会初の海外公演では音楽監督・指揮者としてレハール作曲「微笑みの国」ブダペスト公演を大成功に導き大きな反響を呼んだ。最近では国際オペラコンクールin SHIZUOKAの本選指揮者(1999年11月及び2002年11月)や、世界的活躍中のテノール歌手/フランシスコ・アライサとの共演(2000年6月)など、大きな話題となった。2005年6月には、福岡に新たに創設されたプロオーケーストラ“九州室内管弦楽団”の首席指揮者に就任。今後の更なる活動に期待が集まっている。

 これまでハンガリーにおいてはその演奏のほとんどが国営テレビやラジオで中継や収録により放送され、今では最もよく知られた日本人指揮者のひとりとなる一方、’98年9月からはハンガリー西部のソムバトヘイ市を本拠とするサヴァリア交響楽団の芸術監督・常任指揮者に就任。同オーケストラとの本格的な活動が注目される中、ハンガリーの古楽器アンサンブル”カペラ・サヴァリア”とのスイス演奏旅行('99.4月)を成功させ、1999/2000年のシーズンではハンガリー国立歌劇場へのデビュー(’99.10月 プッチーニ作曲/ラ・ボエーム)を飾り大好評を得た(翌シーズンの客演も即座に決定!、2001年3月 ヴェルディ作曲/椿姫)。また2000年元旦にはブダペスト・ニューイヤーコンサート(エルケル劇場で開催)をハンガリー人以外では初めて指揮し、これまでの演奏の中での最高のものという高い評価を得た。今後も引き続き、同国内におけるこれまで以上の活躍に大きな注目が集まることだろう。

 指揮法を故安永武一郎、故カール・エスターライヒャー、ギュンター・トイリング、湯浅勇治、故遠藤雅古、伊藤栄一の各氏に師事。福岡教育大学音楽科卒業、同大学在学中にオーストリア国立ウィーン音楽大学(オーケストラ指揮科・合唱指揮科・作曲科)に文部省派遣留学、東京学芸大学大学院修士課程(作曲・指揮法講座)を修了。これまでにハンガリー・サヴァリア交響楽団芸術監督兼首席常任指揮者、ハンガリー国立・ブダペスト・オペレッタ劇場客演指揮者、日本フィルハーモニー協会合唱団常任指揮者などを歴任。日本指揮者協会会員、および東京指揮研究会会員。専属アーティストとして㈱コンサート・イマジンに所属。さらにミューベス・ハーズ社(ハンガリー)から、カールマン作曲「サーカス・プリンセス」、レハール作曲「ジプシーの恋」(以上“ハンガリアン・スターズ・オペレッタ劇場”)、ムジークレーベン社(日本)からレハール作曲「メリー・ウィドゥ」(“ハンガリー国立ブダペスト・オペレッタ劇場”来日公演ライヴ)のオペレッタCD、BCCブダペスト社からサヴァリア響との初CD“Zenei ajánlás”(音楽の捧げもの)がそれぞれリリースされている。作品の様式をきっちり押さえながらのダイナミックなバトン・テクニックや音楽構成力に加え、繊細な感情表現を併せ持ち演奏スタイルは多くの演奏家たちの共感を得ている。

 こうした国内外での活動が認められて、雑誌”音楽の友”(2011年3月号)の特集<今、海外で活躍する日本人演奏家たち>に取り上げられ、海外を拠点とする日本人指揮者20人の中の一人として紹介される栄誉を得た。
http://www.izakimasahiro.com/diary/newspaper.html

 またハンガリーのみならず、2012年10月にはロシア国立コンサートエージェントの招きで名門ロシア・ナショナル管弦楽団”VIVA! チェロ・フェスティヴァル”を指揮してモスクワデビューを果たし、翌2013年3月にはドイツ・ベルリンフィルハーモニーホールでのコンサートチクルスでベルリン交響楽団「メサイア」公演を指揮するなど、その活動の場を着々と広げている。

 

現在の活動場所 - ハンガリー・ソルノク市

 2007年4月、ハンガリーの東方(ブダペストより100km)に位置するソルノク市・市長サライ氏及び市当局の要請によって、ソルノク市音楽総監督に就任した。これは同市に所属する交響楽団、合唱団、舞踊団、劇場及び文化センター等の音楽文化団体の活動や施設運用を総括するもので、同市において初めて設けられたポストのみならずそのポスト存在自体がハンガリーにおいて稀な例で、かつて日本人はもとより他の外国人やハンガリー人自体も就いたことのない立場への異例の抜擢で大きな話題を呼び、2007/8シーズンのソルノク交響楽団定期演奏会チケットが発売後わずか10日間で完売するなどの現象を生み、その活動への期待と話題がとても大きく取りげられ注目を集めるようになった。

 同年12月31日=大晦日に開かれたジルヴェスターコンサート(市立スィグリゲティ劇場)では国内からの多くの著名な歌手や俳優たちと共演する指揮者の一人を務め、深夜0時を回る際の’08年幕開けのハンガリー国家演奏も担当するなどの名誉を得て、この模様はハンガリーDunaテレビによりハンガリー国内全土はもとよりヨーロッパ各国、オーストラリア、アメリカなどにも配信されて大きな反響を生み、後日異例の再放送もされるなど話題を呼んだ。

 メディアに取り上げられる機会も増え、ソルノクTVによって定期演奏会の演奏会の模様や井﨑個人のポートレート番組の放送も始まった。また国内唯一のオーケストラ情報機関紙"Zenekar"(ハンガリー語で「オーケストラ」の意味)では特集記事も組まれ、財政難で他の多くのオーケストラが規模を縮小しているのを尻目に発展している同オケを取り上げ、「なぜ今ソルノクなのか?」との記事に反響も多く集まった。

 こうした活動の集大成として、2009年11月後半にはオーケストラ全体として初の来日公演が全国6ヶ所で行われ、大きな成功を収めた。これはハンガリーと日本の国交通商締結から140年、戦後国交復興からちょうど50年を記念する<ハンガリー・フェスティヴァル>の一環としての最大の公演であり、ソルノク市立交響楽団、ソルノク市立バルトーク室内合唱団、ソルノク・コダーイ祝祭合唱団、ハンガリーが誇る歌姫であるロスト・アンドレア(ソプラノ)及びハンガリー国立歌劇場のソリストに、日本のハンガリーフェスティヴァル合唱団を合わせた総勢約160人に渡った大規模なものであった。公演には多くのメディアも関心・好批評を寄せ、今後の更なる発展と活動の広がりが大いに期待されている。>> 日本公演の詳細

 井﨑の就任後の数々の公演の成功に伴いオーケストラの規模も拡大され、同2009年にはハンガリー文化教育省が所轄として運営する”国立ハンガリー・オーケストラ連盟”の第1級カテゴリーオーケストラとしての承認を得るに至り、数々の歴史あるハンガリーのオーケストラの一員として肩を並べることとなった。
http://www.aho.hu/hirek (国立ハンガリー・オーケストラ連盟 Association of Hungarian Orchestra のホームページ、トップページに「ソルノク市響」紹介も掲げてある)

 また2012年から毎年年頭に行われている”ニューイヤー・ダンスコンサート”は、一地方都市での演奏会ながら、特にその演奏内容の質の高さや卓抜した企画力がハンガリー国内での大きな話題となっており、各メディアで大きく取り上げられて、ソルノク市響の名を大きく広めている。
http://www.kultura.hu/opera-mindenkie (ハンガリーの文化・芸能活動を広くレポートするポータルサイト「KULTÚRA.hu」の特集記事。2014年1月4日に行われた演奏会レポートが動画付で紹介されている)

 こうしたハンガリーにおける活動が認められて、2009年7月発売のNews Week日本版 において、特集「世界が尊敬する日本人~文化の壁を超え異国で輝く天才・鬼才・異才100人」に選出され掲載された。
関連記事 http://www.izakimasahiro.com/diary/newspaper.html

 

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